嘉吉の乱により、6代将軍足利義教が暗殺されました
義教の嫡男、足利義勝が7代将軍となりましたが
僅かに9歳だった為
三管領といわれる、畠山家、斯波家、細川家が発言力を強めました
ですが、義勝は亡くなってしまい、足利義政(幼名、三春)が8歳で次期将軍に選ばれました、その為、上記の三管領の発言力は更に大きくなりました
そして、発言力が増した、三管領や守護大名達の利権争いが発生し、義政はこれに右往左往してしまい、これが後に応仁の乱へと繋がったのかもしれません
従兄の畠山義就と畠山家の家督を巡って争そった