明応の政変により、足利将軍家は、10代将軍義稙派と11代将軍義澄派に別れて対立した
この戦いに敗れた足利義稙は、周防の大内義興を頼った
そんな状況下で、修験道に励む、細川政元には子がおらず、細川家で家督相続問題が起きた
そして、細川政元は細川澄之派に暗殺された。その後、細川澄之は細川高国に自害に追い込まれ、
この混乱を見た、大内義興が足利義稙を奉じて上洛してくると、細川高国は義稙側に転じて、足利義澄らを近江国に追い払った。
室町幕府第10代将軍、足利義視(足利義政の弟)の子
室町幕府第11代将軍、足利政知(足利義政の兄)の子
細川氏12代当主、修験道・山伏信仰に凝って、女性を近づけることなく生涯独身を通した為、永正の錯乱が起きるきっかけとなった