第12代将軍足利義晴を擁立し、権力を握った細川高国でしたが…
有力家臣を討ったことで、家臣が反乱を起こし
阿波の細川晴元らが蜂起して、細川高国軍と京都の桂川などで戦いました
戦いに敗れた細川高国は近江に逃れ、その後再起して、京都を取り戻す局面もありましたが、近江に追われ、その後、諸国を巡って味方を募りました。
そして、備前の浦上氏の協力を得て、堺公方に挑みましたが、三好氏の反撃にあい、自害に追い込まれました。
将軍は配下の細川氏に挿げ替えられる"明応の政変"がおき、その細川氏も配下の三好氏に倒されるという、下剋上の時代が到来しました。
細川政元の養子、細川澄之、細川澄元らとの戦いに勝ち、細川家の家督を獲得し、足利義晴を第12代将軍に擁立して権力を握った。
細川澄元の子、阿波で足利義維(足利義晴の弟)の元で挙兵し、細川高国方と戦った